先月12/31、豊島区で同居していた家(主がいて、そこに住まわせてもらっていた)から荷物を引き上げて、別の友人の宅に住まわせてもらっていました。前の家の主とはどんな関係だったかというと、ビジネスの師匠的な存在でして、師匠的というのは完全な師匠という存在ではなかったんだけども、
一から、誰にでも伝わるようなわかりやすい説明にすると、昨年3月末からとあるビジネスのコミュニティに参加していて、2025/12/31付でそのコミュニティを辞めました。で、豊島区の元同居人は僕にそのコミュニティを紹介してくれた人の紹介者で、そのコミュニティには、学生(学んでいる人)と師匠的な考え方があって、学生を卒業すると師匠側に回れるのですが、僕の元同居人は卒業していたので僕に対しては師匠っぽいスタンスで振る舞っていたのですが、師匠側も師匠側で色々レベルもあって、元同居人の師匠もいて、僕の本当の師匠にあたる存在はその人でした。
僕は2025年3月末に前のめりでコミュニティに参加してたのですが、その時どんなつもりだったか今振り返ると、まあ無責任だったというか、「そういうつもりじゃなかった」と思うことが多々あります。
その、「そういうつもりじゃなかった現象」と言いますか、そういうことって人生でたくさんありますよね。極端な話この世界に生まれてきたことも「そういうつもりじゃなかった現象」にカウントされることもおかしくないかも。
自分のイメージしていた世界ではなくて、それを乗り越えて最初にイメージした本当に欲しいと思われるものを手にするために自分のわがままを手放すのか。わがままを貫き通すのか。どっちが正解かはわからない。
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